千代鶴歴史、備忘録等


千代鶴酒造の歴史等を紹介予定ですが、1988年に没した4代目義弘が残した資料以外に 参考になるものが少ないのが現状です。紹介というより備忘録といった内容です。


・義弘の残した資料から

義弘の残した資料PDF

資料を作成した年は分からないが製造数量140KLとなっている。当時800石弱ぐらい造っていたようです。

銘柄の由来の文字起こし

製造工場のある地域は大昔、桜井と云われその地に水を供給している川を桜井川 と称した初代。耕三はその水を使って酒を造ったので、当初は桜井酒と名付けた。 二代義平もその名称を受け継ぎ桜井酒として愛好された。 三代知義は、明治38年日露戦争に従軍203高地の激戦に参加被弾3発 陸軍病院にて治療しその後能登の陸軍療養所に養生九死に一生を得て帰還した。 当時裏の間に折々丹頂鶴の舞い降り遊ぶのを見て自分の生還を祝って来たもの 解し、酒の銘柄を目出度い千代鶴と改した 四代の今日もその目度い銘柄を継承している

銘柄の由来とともに 初代が耕三、2代目が義平、3代目が知義という事が分かります。

・生産販売に関して

戦後は地元や観光地での販売がメインだったと想像します。
穴谷、称名滝といった商品もありました。
1990年代ぐらいには地酒を意識したお酒も製造していました。
それでもまだまだ当初は観光地での販売がメインでした。
00年代初期から特定名称酒の販売を増やしていきました。


・歴代杜氏 間違いもあるかもしれません

吉田正(能登杜氏)H16BY(2004)~H23BY(2011)
川原康義(能登杜氏)S61BY(1986)~H15BY(2003)
川村慈朗(南部?)S57(1982)~S60BY(1985)
小森田邦雄(南部?)S56
山﨑健一(越後?)S51~S53
及川恒男(南部?)S41(1966)~S47(1972)


・蔵の横に建つ銅像

創業者の銅像と思われる方もおられますが、こちらは2代目の義平の銅像になります。 功績があったらしい。明治期独特な感じがします。
資料1
資料2
以前ブログでも紹介しました。。
http://chiyozuru.seesaa.net/article/482872412.html。